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半田そうめん祭り

2011年11月 2日 | その他

10月30日に美馬郡つるぎ町半田で13年ぶりに「半田そうめん祭り」が催されましたので、半田そうめんについてご報告したいと思います。

そうめん祭り、13年ぶり復活へ 半田に活気を
つるぎ町半田地区で地域を挙げて開催していたイベント「半田そうめん祭り」が13年ぶりに復活しました。過疎高齢化が進む地域に活気を取り戻そうと行政や住民が連携しての企画で、10月30日に半田スポーツセンターで実施されました。地元の小中学生らが考案したそうめんレシピのコンテストや、パスタ風そうめんなどの創作料理の販売、製造工程を紹介するパネル展など、地元特産品の半田そうめんにちなんだ催しが行われました。
半田地区は、過疎高齢化などの影響で定期的なイベントが少なく、地元をにぎわせた祭の再開を願う声が多く出て、町や町商工会半田支部、そうめん業者などが8月に実行委を発足させ、復活を決めたそうです。そうめん祭りは、町おこしイベントとして1983年から毎年夏に開催され、花火大会やそうめん早食い競争などが繰り広げられたが、財政難などで90年に中断。明石海峡大橋開通を機に98年に復活したものの、一度限りで終わった経緯があります。
 

半田そうめんの歴史
中国から伝わり、南北朝時代から食べられてきた、そうめん。平安時代には既に宮中料理として浸透していたそうです。室町時代に今の形に落ち着き、全国でご当地そうめんがたくさん生まれました。そのそうめんたちの中でも、半田そうめんの歴史は古いのです。1754年に書かれた「日本山海名物図会」に「大和三輪さうめん、細きこと糸のごとく、白きこと雪の如し、ゆでてふとらず、全国より出づるさうめんの及ぶところにあらず、又阿波より出づるもの名産なり。三輪さうめんにおとらず。」と記されています。阿波は徳島、半田のことを指していますから、この記述より以前にそうめんがつくられていたことが分かります。およそ300年近く、江戸時代から半田そうめんの歴史があると考えられるでしょう。半田そうめんの歴史の起源は諸説あるそうですが、当時小野浜港より撫養方面へ運航していた平田舟の船頭が、冬場に自給用や副業としてつくり始めた、というのが有力です。今の奈良県三輪町から淡路、鳴門を経由して、半田に製麺の方法が伝えられたそうです。

半田そうめんの特徴
半田そうめんの特徴はなんと言っても太さ、コシの強さにあります。これってそうめん?半田そうめんを初めて手にした人は、そのしっかりとした麺線に驚くのではないでしょうか。半田そうめんは1.3ミリから1.7ミリくらいの太さで作られています。しかし、ただ太いだけでは冷麦やうどんと変わりません。では、その違いとは何なのか。まず、太くつくることによって小麦の風味が生きる。小麦独特の甘みがぐっと引き出されます。さらに、強いコシがもちもちの食感を作り出し、噛みしめたときの香りを豊かにするのです。冷麦にないコシ、うどんにない絶品の喉越し、この二つを両方あわせ持つのが半田そうめんの特徴なのです。実際に茹で上げてみれば、その特徴が目で見て分かります。たっぷりの熱湯で茹でて水洗いしたら、氷水に放ってみてください。麺の中心周辺は白く、ふちは透明に近くなります。コシとつる味が合体している証拠ですよ。そのまま冷たく食べるのもよし、コシが強いから温かいおつゆで食べても、そのしっかりとした食感は失われません。コシが楽しめて喉越しが良く、風味も抜群!その美味しさは「コシの強さにノドが鳴る」と、半田そうめん音頭で歌っているくらいです。半田そうめんの特徴をよく捉えています。
皆さんも一度食べてみてはいかがですか。

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